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1950年代~現在

1950年代~現在

設立から5年も経たないうちに、マグナムには次々と才能ある若い写真家たちが集まってきた。イブ・アーノルド、バート・グリン、エリック・ハートマン、エリック・レッシング、 マルク・リブー、 デニス・ストック、クリン・タコニス。
リブーはマグナムに参加してすぐにカルティエ=ブレッソンに同行して中国へ渡り、自身の先駆的写真作品を製作した - これがリブーが生涯に亘って通い続ける中国への最初の旅となる - 。アーノルドはブラック・ムスリムとマリリン・モンローの写真をそれぞれシリーズで撮り注目を浴びた。タコニスはアルジェリア独立戦争を取材した。その後まもなくして、ルネ・ブリやコーネル・キャパ (ロバートの弟)、エリオット・アーウィット、 インゲ・モラスらも参加することとなり、マグナムは発展を遂げつつあった。

しかし、どこか間違った方向へ向かっているのではないかという意識もあった。カルティエ=ブレッソンは1962年に「すべての写真家」へ宛てた印象的なメモを残している。その中で彼は、写真家たちに、世界における自分たちの立場を再認識するよう呼びかけている。
「マグナムの設立によって、我々は自らの能力や解釈に従い現代世界の証言を行うことが可能となり、またそのように行動する義務があるのだということを皆さんに思い出して欲しいのです。誰が、何を、いつ、なぜ、どこで、というような詳しいことはここでは問いません。私には、我々が硬化症をおこしているように感じられるのです。それは我々が生きている環境のせいかもしれませんが、それを言い訳にすることはできません。重大な事件の現場に居合わせたなら、たとえお金儲けにならなくても、我々はその場に留まりレンズを通して目の前の現実を写真におさめなくてはなりません。物質的な安楽や安全を犠牲にすることをためらってはいけません。このように原点に立ち返ることで、我々を取り巻いている人工的生活を越えて自身とレンズを生かすことができるでしょう。私達のどれだけ多くが、クライアントの希望に沿うことしか考えていないかを目の当たりにして、ショックを受けています」

 
パリ、マグナム・ミーティング、1950年
 
カルティエ=ブレッソンのメモの後、多くのマグナム写真家は「人工的生活」から鮮やかに脱却し、生活のリアリティーを探求することに成功している。ブルース・デビッドソンの「東100 番街」 はニューヨークの貧しい地域に住む人々の生活について深く考えさせる秀作だし、フィリップ・ジョーンズ=グリフィスが1971年に出版した「ベトナム・インク」は米国のベトナム政策に対する鮮やかな風刺、辛辣な批評である。

1970年代、雑誌は次々とフォトジャーナリストの起用を積極的に始め、マグナムのメンバー達はその中でも抜きに出た仕事量を誇っていた。しかし編集者が写真家との結びつきを強めていき、ビジュアルセンスを磨いてゆくに従って、写真が装飾や説明のために使用されるようになってきたという矛盾が生じることとなる。写真家達は、照明や色やカバーショットにも詳細な注文をつけられるようになった。他方、富裕層の読者へのアピールを狙っている出版社側の要望にシリアスな写真は合わなくなってきていた。

ニカラグアのサンディニスタ革命を撮ったスーザン・メイゼラス、北アイルランドやイランでの争乱を撮ったジル・ペレスのように雑誌で成功をおさめる写真家がいる一方で、多くのマグナム所属の写真家たちは写真集や展覧会に表現の場を求めるようになっていく。メイゼラスの「ニカラグア」、 ペレスの「テレックス・イラン」やサルガドの「サヘル」は、世界で起こっている事件に、より洗練された視覚的説明を与えようとする試みであった。

 
ニューヨーク、1972年 

 

また、マグナムの写真家達が文章や写真集・展覧会のデザインで実験的試みを始めたのに伴い、彼らの写真言語も発展していった。マグナムの設立メンバーによって信じられていた「時代の証言者」という写真家の理想像は、メディア飽和状態の現代世界では変容を求められていた。写真は、もはや写真家ではなく、編集者・アートディレクター・政治家・映画スターらの視点を写すものとして使われていた。

レイモン・ドゥパルドンは仏リベラシオン紙の国際欄にNYレポートを連載するという先駆的な仕事に取り組んだ。毎日一枚の写真と一緒に、彼が出会った人々、読んだ本や個人的所感を日記風に記した文章掲載するものである。ペレスの写真集「テレックス・イラン」では、写真と一緒に彼自身の半傭兵的外国人としての役割を浮き彫りにする手法として、マグナムのメンバーから受け取ったテレックスが掲載されており、イランで起こっていることに対して権威的反応を示すのではなく、そういった態度に疑問を呈する表現となっている。

ユージン・リチャーズの写真集は、貧困や病気や依存症の苦しみを赤裸々に描くことで、親密なものと公のものを融合をはかっている。ハリー・グリエールのモロッコ、 アレックス・ウェブのカリブで撮影した作品群は、その社会の根底を暴露するというよりかは、観察者の自意識的異国趣味を明らかにするのだった。


 
パリ、1990年

 

現代の若い世代の写真家達の間では不正義を暴くだけで十分なのだという意識は薄れてきており、むしろ彼等は、何が説明可能で何が説明不可能なのかを見極めるためのより複雑な感覚を磨いているように思われる。今まさに、キャパがかつて語った言葉が思い出される。「写真が上手く撮れない時は、被写体への接近が足りないというよりは、近づきすぎているのではないか」。今日の「情報化時代」において、写真を見た者がその意味を追求したいと思うならば、その写真は成功であるといえるだろう。

癖のあるマグナム・メンバー達の性格や、新しいことを始めようとする時につきものの困難を考えるとき、マグナムが60年もエイジェンシーとして存続したのは多くの人々にとって驚きに思われるかもしれない。他の殆どのエージェンシーが次々と消えていくなかで、マグナムという組織は例外的にも生き延びた。奇跡的にも時代を乗り越え常に変化を続けてきた。そんなマグナムの精神は、カルティエ=ブレッソンが残した熱情溢れるメモに記されている :「永遠の革命に、万歳!」


 
ニューヨーク、創設60周年パーティー、2007年
 


「マグナムの歴史、歴史の中のマグナム」 
マグナムとは
マグナム設立 - 1947年 -
創設期のマグナム - 1947年以降 -
50年代~現在